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…年を重ねるという贈り物…
2008 / 04 / 23 ( Wed )
今は 高級有料老人ホームに ご縁を 感じて ほぼ 夜勤勤務(笑)を しています
(・ω・)/ハイ

夜に なると
いや… 夕方になると… お年寄りの皆さんは…
様子が 変わるのです…

そわそわ したりします…

不安な 感情に おそわれはじめます…

昼間の 太陽や 喧騒で 感じにくくなっていた
深い 感情の 蓋が 夕方の 気配とともに 開いて きはじめるようです

ナースコールが よく なります

「 あのね…あのね… ここは どこですか? … 病院ですか?
家族に 電話 させてください 迎えにきてもらいますから… 」

と… (*u_u)

お部屋に 伺うと ナースコールを したことや 話した内容は ほぼ 記憶には 残っていません…

なので…

「 こんばんは (*^_^*) 夜勤の エリザベスです…
今晩も どうぞ よろしくお願いします… m(_ _)mペコリンコ 」
と 笑顔で 話しかける

すると…

「 まあまあ ご丁寧に ありがとう (*^-^) 夜 お仕事大変ねえ…
私は なんでも 出来るから 心配いらないし ゆっくり 体 休めて 無理しないでねぇ… 」 と
優しく ねぎらって くださったりする…

そして

世間話や お身体の ことを 少し 話して 退室すると

しばらくして

ナースコールがなり
「 あの…

私… 今 どこにいるのか わからなくて…
迷子に なって 警察に いたのまでは 覚えてるんですけど… 」 と おっしゃるのです…

夜 眠りに つかれるまで… 不安な 感情は その 方 を 襲うのです…

寂しいきもち
悲しみ
などが ごちゃまぜになった…でも 優しい 思いとともに眠りにつかれます…
夜中 見回りの時

かるい 寝息を たてながら 幼い 子供のように 素顔で 眠る その 顔を みていると…

少し 胸が キュンとします…

「 この方の 幼い時… 少女時代 … 結婚時代… 戦争の時…
ここにいたる 道のりに どれだけ たくさんの 痛みと 幸いが あったのだろうか… 」 て…
思います…

認知症や アルツハイマーが 進んで いる 方の お世話も させていただきます
とても 可愛いんです
(//▽//)



「 さてと… では 靴を 脱ぎましょうか(^O^) 」と

声を かけます
すると

「 はい(^O^)/」 と笑顔で

ズボンを 脱ぎ始めます (笑)

私 慌てます
(((゜д゜;))) ぎゃ


「 ではぁ… 歯磨き しましょうねぇ('-^*)/」 と 歯ブラシを 手に 渡します
すると

「 はいっ(^O^)/ 」と 笑顔で 鼻の穴を 磨き始めます

私 … 慌てます

(((゜д゜;))) ぎゃ

でも いつも 笑顔をくださるのです

いつも… 目が あうと 嬉しそうに 笑ってくださるのです

胸が キュンとします
(//▽//) タハァ…
何をしても 笑える 可愛さです
トンチンカンが 可愛いo(^-^)o

笑いながら 「 こうですよお…」

「 あらあ … そうなの… 」 と

毎回 毎回 遊びます(笑)

アルツハイマーは 贈り物やと 思います

忘れたいことを
忘れさせてくれた 贈り物

出来ないことを
しなくてすんだ
贈り物

腹がたたなくて
平和なきもちになれた 贈り物

だから… 直らなくても いいと 思います…

ありのまんまで いいと思う…






私の 母親 は 以前 「両親からの贈り物」という日記にかいたように
戦争中 満州にいました
まだ 少女時代
お父さんは 破傷風で 薬もなく 気がふれたように 苦しみ なくなりました…

鉄砲の玉が 飛び交う 戦場の中 病弱な お母さんと 弟と 三人で 命からがら 日本に 帰りました
沖永良部島という 小さな 島 です…

お父さんの身内しか頼るところがなく… 肩身の狭い思いをしながら 肩を寄せ合い 暮らしていたようですが…

お母さんは 結核で 亡くなりました

ほんの15歳で 両親を なくし 親戚を たらい回しされ 弟は 詰逆になりました( どもりと 昔は いわれました)

私の 母親は ろくな 教育は うけてません… 弟と二人 生きていくのが 精一杯でした…

料理も 裁縫も なんでも我流で 覚えました 働いて お金を 稼ぐことは
即 命の保証でしたから 働けることに 感謝していました…

そして 恋を しました… 十代で 愛する 唯一の 男性と出会いました

それが 父でした… (*^_^*)

父は 一歳の時から 母親と 離され 祖母に 育てられました
母親の 愛情をうけていませんが 祖母の 愛情を たくさん受けた 優しい 人です

大阪に暮らす 実の 母親に 会いたくて 会いたくて…

十代で 父は 島をでました

そして 父を 愛していた 母も 島を出ました

二人は 貧しくて 慎ましいけれど 仲良し 夫婦でした

二人とも… 悲しい 事情で 親の 愛情を たくさんは うけられず また 寂しい 辛い 体験をしています
だからこそ

とても… 優しいんです…

私は 親戚から こんな 話しを 聞かされました

「 あんたの お母さんは 島に 帰りたがらないやろ 帰れない ワケが あるんやで…

あんたの お母さんは まだ 十代のとき あんたの お父さんとの 間に 子供が できてな

あそこは 病院もないし 人に いえなかったんやろうなぁ
自然に 産んだんやで… 」

と…

(;_;)


私は そのあと その方が 話した 言葉を忘れません… ただ 文字には できません…

私は 母から その 話しを きいたことは ありません…
そして その 赤ちゃんが そのご どうなったのかは 本当の 話は わかりません
そして たぶん 母は けして だれにも 言わないと おもいます…

言わなくて いいと思います…

言えなくて あたりまえやと おもいます …

忘れることが できるなら… そう… アルツハイマーになったら
その 世界一 悲しい 体験を 忘れられるのならば

私は 喜んで アルツハイマーになった 母と 関わりたいと思います…

真実て なんなんやろう…

正しいも 間違いも 人によって 違います

それを 相手に 望むことから 諍いが うまれます…

あるがままの 相手を いい と 思えたら

あるがままの 自分が 好きに なれる

たとえ

悪い奴でも
こすい奴でも
執着あっても
欲望まみれでも

人間なんやもん

そして 人間は みな
少し 悲しい 心の傷があり
だからこそ
優しいきもちが 内在されている…

私には どんな 鎧をきていたとしても

人の 内側に 確かに ある
その 暖かい 「 優しさ 」 が 見えてくるんです…

すると

嬉しくて

ありがたくなる…

(^人^)

年を 重ねられた 方は…
皆さん ありがたい存在です

手足うごかなくても
おしめしていても

入れ歯 がたがたしていても

可愛いんです

内側が 少年 少女の 可愛いさで いっぱいに なっているから…

私は とても 不機嫌で 反抗的な 少女時代を すごしました
二回も 結婚と離婚をしました

なので 家族に 迷惑を たくさん かけました

三人の 我が子には 言葉では あらわせないくらいの

辛い 体験を たくさん あじあわせました …

だから いま とてもよく わかります

ご縁に 感謝 しかないんやなあ…と

生きているだけで
なんて ありがたいんやろうかと

迷惑かけた 家族を いま 大好き やから
みんなが 生きてくれているのが ありがたくて たまらないんです

なにも できないけど

いつも みんなの 幸いを 切なくなるくらい 祈っています
人と出会うたびに 家族を 思います

人様と 家族と 自分は まるで 同じように 感じます ヾ( ´ー`)

区別 つきません(笑)

声はいつも 胸から ひびいてきます

自分の声も
人様の声も

だから みんなが 大好きなんです

年を 重ねることは 幸いです

どんな 痛みの 体験も

…感謝… に なるんやから…




ありがたいです



(^人^)




エリザベスさんの日記より





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