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心の目で相手の素晴らしさを見る
2008 / 11 / 22 ( Sat )
『鏡の法則』などの著者、野口嘉則氏が

『心眼力 ~柔らかく燃えて生きる30の智恵』

という新刊発売を記念して作られたムービーです。


「心の目で真実を見る」
「心の目で “相手の素晴らしさ” を見る」
「最も大切なものに意識をフォーカスする」

ということを、深く実感できます。


子供を…
そして私と係わるすべての人を

心の目でみるように心がけて生きたいと思います。


お時間がありましたら見てみてください。



                            mixi ユリアさんの日記より

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

この動画は8分42秒あり、音楽と共に見ることをお勧めしますが
見られない方のために、内容を記載しておきます。



『 僕を支えた 母の言葉 』


僕が3歳の時 父が亡くなり
その後は母が 女手ひとつで 僕を育ててくれた

仕事から帰ってきた母は 疲れた顔を見せずに 晩ごはんをつくり
晩ごはんを食べた後は 内職をした
毎晩遅くまでやっていた

母が頑張ってくれていることは よくわかったいた
だけど僕には不満もいっぱいあった

僕が学校から帰ってきても 家には誰もいない
夜は夜で母は遅くまで内職
そんなに働いているのに わが家は裕福じゃなかった

遊園地にも 連れて行ってもらえない
ゲームセンターで遊ぶだけの 小遣いももらえない
テレビが壊れた時も 半年間買ってもらえなかった

僕はいつしか 母にきつく当たるようになった

「おい」とか 「うるせー」とか なまいきな言葉を吐いた
「ばばあ」と 呼んだこともあった

それでも母は こんな僕のために 頑張って働いてくれた

そして 僕にはいつもやさしかった

小学校6年のとき はじめて運動会に来てくれた
運動神経が鈍い僕は かけっこでビリだった
悔しかった

家に帰ってきて母はこう言った

「かけっこの順番なんて気にしなくていい おまえは素晴らしいんだから」

だけど僕の悔しさは ちっともおさまらなかった

僕は学校の勉強も苦手だった
成績も最悪
自分でも劣等感を感じていた

だけど母は 
テストの点や通知表を見るたびに やっぱりこう言った

「大丈夫 おまえは素晴らしいんだから」

僕には なんの説得力も 感じられなかった

母に食ってかかったこともあった
「何が素晴らしいんだよ!? どうせ俺はダメな人間だよ」

それでも母は 自信満々の笑顔で言った

「いつかわかる時が来るよ おまえは素晴らしいんだから」

僕は中学2年生になったころから
仲間たちとタバコを吸うようになった
万引きもした
他の学校の生徒とケンカもした

母は何度も学校や警察に 呼び出された
いつも頭を下げて
「ご迷惑をかけて申し訳ありません」 とあやまっていた

ある日のこと 僕は校内で ちょっとした事件を起こした
母は仕事を抜けて 学校にやって来て いつものようにあやまった

教頭先生が言った
「お子さんがこんなに”悪い子”になったのは ご家庭にも原因 があるのではないでしょうか」

その瞬間 母の表情が変わった

母は 明らかに怒った眼で 教頭先生をにらみつけ きっぱりと言った

「この子は悪い子ではありません」

その迫力に驚いた教頭先生は 言葉を失った

母は続けた

「この子のやったことは間違っています
 親の私にも責任があります
 ですがこの子は
 悪い子ではありません」

僕は 思いきりビンタをくらったような そんな衝撃を受けた
僕は わいてくる涙を抑えるのに 必死だった

母は こんな僕のことを
本当に素晴らしい人間だと思っていてくれていたんだ・・・
あとで隠れて ひとりで泣いた

翌日から僕はタバコをやめた
万引きもやめた
仲間たちからも抜けた

その後
中学校を卒業した僕は高校に入ったが 肌が合わなくて中退した
そして仕事に就いた

そのときも母はこう言ってくれた

「大丈夫 おまえは素晴らしいんだから」

僕は心に誓った
「これから僕が頑張って お母さんに楽してもらうぞ」

だけどなかなか仕事を 覚えられなくて よく怒鳴られた
「何度同じことを言わせるんだ!」
「すこしは頭を働かせろ!」
「おまえはほんとにダメなやつだな!」

怒鳴られるたびに 落ち込んだけど
そんなとき 僕の心には 母の声が聞こえてきた

「大丈夫 おまえは素晴らしいんだから」

この言葉を何度もかみしめた
そうすると 元気がわいてきた
勇気もわいてきた

「いつかきっと 僕自身の素晴らしさを証明して お母さんに見せたい」

そう考えると 僕はどこまでも頑張れた

仕事を始めて 半年くらい経ったときのことだ
仕事を終えて帰ろうとしていたら 社長がとんできて言った

「お母さんの事故にあわれたそうだ すぐ病院に行きなさい」

病院に着いたとき 母の顔には白い布がかかっていた

僕はわけがわからなくて 何度も「おかあさん!」と叫びながら ただただ泣き続けた

僕のために 身を粉にして働いてくれた母

縫いものの内職をしているときの 母の丸くなった背中を思い出した
母は何を楽しみにして 頑張ってくれてたんだろう?

これから親孝行できると 思っていたのに
これから楽させてあげられると 思っていたのに

葬式のあとで 親戚から聞いた

母が実の母ではなかったことを

実母は僕を産んだときに 亡くなったらしい
母はそのことをいつか僕に 言うつもりだったんだろう

もしそうなったら 僕はこう伝えたかった

「血はつながっていなくても お母さんは僕のお母さんだよ」

あれから月日が流れ僕は35歳になった
今あらためて 母にメッセージを送りたい

お母さん

僕とは 血がつながっていなかったんだね

そんな僕のために お母さんは 昼も夜も働いてくれたね
そして お母さんはいつも 言ってくれた

「おまえは素晴らしいんだから」って

その言葉が どんなに僕を救ってくれたか
どんなに僕を支えてくれたか

あれから僕なりに成長し 今は結婚して子どももいるよ

規模は小さいけど 会社の社長になって
社員たちと楽しくやっているよ

まだまだ未熟な僕だけど 僕なりに成長してきたと思う
その成長した姿を お母さんに見せたかったよ

「おまえは素晴らしい」 って言ってくれたお母さん

その言葉は間違っていなかった っていう証拠を見せたかった
そしてそれを見せられないことが 残念でならなかった

だけど最近きづいたんだ

お母さんは最初から 僕の素晴らしさを 見てくれてたんだよね

証拠なんてなくても 心の目でちゃんと 見てくれてたんだよね

だってお母さんが 「おまえは素晴らしいんだから」 って言うときは

まったく迷いがなかったから

お母さんの顔は確信に満ちていたから

僕も今 社員たちと接していて
ついつい その社員の悪いところばかりに 目が行ってしまうことがある
ついつい怒鳴ってしまうこともある
だけどお母さんの言葉を思い出して
心の目でその社員の素晴らしさを 見直すようにしてるんだ

そして心を込めて言うようにしている
「きみは素晴らしい」って

おかげで 社員たちともいい関係を築け 楽しく仕事をしているよ

これもお母さんのおかげです



お母さん

血はつながっていなくても
僕の本当のお母さん


ありがとう



この話は、私の知人の話を、若干ストーリーを変えてムービーにしたものです。
拙著「心眼力 柔らかく燃えて生きる30の知恵」の発売記念ムービーとして、
ご本人の了解を得て製作しました。
何かを感じ取っていただけたら幸いです。
                           2008年11月 野口嘉則
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~


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